みなさま 田中かつゑです。早朝猫達の部屋に降りていくと、元気一杯に「おはようなの。お腹空いたの~。」そういえば、冬毛が生えそろってきて、抜け毛がめっきり減りました。ニャンコの冬支度ですね。モフモフの仔たちが並びます。
先日友人と喫茶店に入った時の事です。ふと、素敵なコートをお召しになったご婦人が目に留まりました。そこで、改めて同じ情報に対しても受け取り方が異なるんだなぁと思ったヒトコマをご紹介します。
私:(コートの柄に注目)からし色の生地に深紅のポイントデザインが秋らしくて素敵
友人:(コートのデザインに注目):短いコートで若々しい印象ね(Pコートでした)
実は二人で、ご婦人を素敵ね…と言っていたのですが、思っていることが全然違ったのですね。後で確認してお互いに驚いて、笑いあったのですが…。
これがお仕事や大事な事柄だったらどうでしょう。ちょっとうすら寒くなりませんか?以前言葉で伝える事の難しさを書いたことがあるのですが、今回は同じものを見ていながら、そして言葉で確認し合ったはずなのに、思う事が違ったのです。確認する時には抽象的な言葉を使わず、より具体的な表現をすべきだと再認識した瞬間でした。
但し、具体的に伝え、お互いに同じ認識となるのにも課題が生じます。それはお相手と、前提となる知識が異なる場合です。以前こんなことがありました。
子供がまだ小さかった頃、「キャベツ」を買ってきて、とお使いをお願いした時の事です。このくらいの大きさで、葉っぱが沢山重なっていて、薄い緑色で、お野菜の名前はキャベツと説明。わかった!と元気よく飛び出した後、彼は嬉しそうに「レタス」を買ってきてくれました。どうしてこんなことが起こったのでしょうか。
実は彼自身がキャベツとレタスの区別がついていなかったのです。当然八百屋さんには品物の前に名札がついているのですが、なので字を読めば「キャベツ」なるものを買えたはずなのですが…彼の頭の中でレタスとキャベツがごしゃごしゃになっていた様子。そうなると、名札があっても役に立ちません。彼は彼のロジックでお買い物をしたのだろうと思います。(脱力…) 物事を正確に伝え、受け取ってもらうのはもしかして非常に難しい事なのかもしれないですね。
なので、私たちはお互いに同じことを認識しているのか、抜け漏れ勘違いは無いかを確認するために、同じ事柄を言葉や表現、見る角度を変えて伝え直し、相手との意識のすり合わせを都度しなくてはいけないと思います。これ、簡単に書きますが、実は非常に手間がかかることなので、ついつい端折りがち。
さらに、自分が思っている事考えていることを、別の表現で現わすことも結構しんどい作業だったりします。けれど、世の中良くしたもので、その技術に長けている方々がいらっしゃるんですよ。誰だと思いますか?そう、小さなお子様やお年を召した方々と日々交わっていらっしゃる人たちです。
その方々は、非常に相手(お子様やお年を召した方々)の意思を上手にくみ取り、意識を同じくしていきます。どうして出来るのでしょう?それは、相手をよく観察し、推測し、相手の心を推し量ろうと日々努力してらっしゃるからだと思います。
同じものを見、同じ言葉で話していても一人ひとり思考は違うし、考えている根っこは多分違います。その時、相手は何が好き?どんなことに興味があるの?を推し量り少しずつ相手に寄り添っていく。これが相手と同じ情報を共有できる近道のように思われます。
だから、私は8ニャンの要求する事が分かるのね!と勝手にほくそ笑んでいる私ですが、果たしてこれは当たっているのでしょうか…?