みなさま 田中かつゑです。寒くなってくると、ニャンコたちが固まって寝ていることが増えてきます。そんな時でもお互いに相性があるのか、いつも同じメンバでグループ分けされているのです。動物も好き嫌いがあるんだな、と妙に納得します。
ジムに通い始めて半年目に突入しました。週に2~3回と言えども継続して通っていると、色々な気づきがあることを知りました。そして、いくつになっても身体・心・脳を現役状態に保つためには、ひとえに「訓練を継続すること」なのだなと実感している最中です。(そういえば知り合いのお琴の師匠は70歳を過ぎても演奏の技術は衰えることを知らず、いつもシャキッと紋付きを着こなしていたものです。あれも毎日のお稽古の賜物だと思います。)
ジム通いを始めた頃、今だから白状しますが誘ってくださった方のお話を半信半疑で聞いていました。例えば「XXXに筋肉が付いてきた。」「身体が引き締まってきた。」「筋肉の形が解るようになってきた。」等の会話を「それは、あなただから出来るのでは?私には無理っぽい。」と非常に懐疑的に受け止めていたのを思い出します。それでも気分転換になるかも、ハイキングに必要な体力がつくかも、と何ら期待もせず入会手続きを済ませました。数回のインストラクターからのカウンセリングを経て、自分の目標(適当に「高山に登りたいので下半身を鍛えたい」にしました)に合ったカリキュラムを組んでもらい、正式にトレーニングが始まります。その頃の私は持ち上げられるバーベルが高々5キロ程。出来る腹筋は0回。腕立て伏せなんぞ恐ろしい…。という徹底してなまり切った身体で、今後のトレーニングが不安になったものでした。周りを見回すと、今すぐ何らかの大会に出ても大丈夫そうな凄い女性が、男性顔負けの重しをセットして黙々とトレーニングをしていたり、自分はボディビルダーだ、と全身で主張しているような筋肉の塊の様な男性が自分の限界に挑んでいたり。「世界が違う…」と怖気づいてしまったものです。
また、トレーニングは疲れるし、その2日後(次の日ではない)は筋肉痛になるし、なのに効果が出ている様には感じません。加え、汗をかくので洗濯物は増えるし、ただでさえ一杯いっぱいの日常がますます分刻みになり睡眠時間が減るし、ニャンコたちとの触れ合い時間は減るし…と愚痴が止めどうもなく出てきます。ジムにお金払って楽しめないって何か変。辞めようかな…と正直思っていました。
けれど、ここで止めたら元の木阿弥とか、誘ってくれた方に悪いなと思い直し、1日の家事の段取りを見直しながら、何とか定期的にジムに赴ける様に時間配分を工夫しました。通うごとに、ちらほらとご挨拶を交わす方も出て来て、10年・15年と継続して通っていらっしゃる方々とお話しする機会も増えました。その会話で、「何故ジムに通うようになったの?」というお定まりの質問に、戯言で設定した「高い山に登りたい」を声に出していくうち、私、自己暗示にかかったようです。さらに、1時間程のグループレッスンの存在も知り、参加し始めました。レッスン時恐る恐る周りを見渡すと、筋骨隆々の方々ではなく、ごくごく普通の方たちが参加準備をしています。そのため自分自身の緊張感が多少和らぎます。1人で黙々とこなすマシントレーニングと違い、グループレッスンは時間内の途中退出ができないので、自分を追い込めそうです。参加したら、苦しくても何とかしてその時間はレッスンにしがみつく必要があるのです。足手まといにならないよう頑張らねば。頑張らねば?そんな気持ちが沸いたことに自分でもびっくりです。
そんなこんなで、5ヶ月が経過した辺り自宅の全身鏡で自分を映してみた所、弱弱しいけれど、腕・背中・太もも辺りにうっすら線を見分けられるようになりました。筋肉が付いてきたのです。筋肉痛になりながら、帰宅時間が遅くなることで大変になった家事をこなしながら、触れ合いが減ったニャンコたちをなだめながら、そして何より「今日はサボっちゃおうかな」という悪魔の囁きと戦いながら、続けてきたジム通い。続けるということの大変さと、大切さを噛みしめています。ほんのちょっとでも成果が実感でき自分の努力が報われたと思えた時、その対象(筋トレ)への興味が深まりもっと知りたい・頑張りたいと思いました。
このイベントは趣味の領域ですが、仕事にもしっかり通じると考えています。昔、こんな方がいました。その方は私の子供が通っていた学童保育でご一緒させて頂いた女性なのですが、パートタイムジョブでスーパーマーケットのお惣菜の調理を担当していました。彼女が非番だった時、学童の買い出しでそのお店に行ったのですが、お惣菜コーナーを通り掛かった時、彼女はささっとお惣菜パックを綺麗に並べ直したのです。その素早い動きに見とれると同時に、非番なのに何故?という、私の心の声が彼女に届いたのでしょう。恥ずかしそうに「折角私たちが作ったお惣菜だから、お客さんに買って食べて欲しいなと思うの。だからパックの並びも美味しそうに見えるように工夫しているの。」と。自分が休みの時でも、その仕事に対して興味と工夫の心を持ち続けている彼女にとても感心したことを覚えています。
何事も瞬間風速で上手くいくことはないと私は思っています。スポーツの短距離競走の選手も、あの短い距離のために筋トレ・走り込み・ストレッチ・体幹トレーニング等様々な練習を毎日積み重ねていると聞いています。何事も続けること。それにはその対象に興味を持ち、深く理解するように努める事。そして何より、スランプ時に自分の心を明るく保ち、そのスランプに引きずり込まれない事。何かを続けていくことは好調と不調を繰り返し経験することと言い換えても良いかもしれません。不調時の自分を客観的に分析し、上手くコントロールしながら、その不調をやり過ごす。あるいは不調と割り切りじっと耐える。または気分転換に何か別の事を加える。
続けるための工夫のためにも、その対象への興味を持ち続けたいです。