役員メッセージ 素敵な方々

かつ便りNo.178 ~継続の強さ~

 

 みなさま 田中かつゑです。いつもは控えめに甘える仔がいるのですが、この仔、ご飯の時には猫が変わった様になるのです。哀願するように、または恫喝するように、『お腹がすいたの。ご飯が欲しいの。』と、目の前にご飯が出てくるまで鳴き叫ぶのです。それも1時間前から。そんなに大声を出していると余計にお腹が空くんじゃないかと思うんですけどねぇ。

 押し入れの整理をしていたら、息子・娘が2歳児まで使っていた家庭福祉員との交換日誌の束が出てきました。(私が住んでいる地域では、資格保持者が0~2歳児を数人ご自宅にて保育してくださる制度があります。) 私は息子が生後5ヶ月、娘が生後3ヶ月の時に仕事に復帰したため、この「近所のおばちゃんの所で預かって頂く」感覚の家庭福祉員はとても有難い存在でした。

 毎日同じ方がご家庭の居間で子供たちの面倒を見てくださるのはとても心強く、また彼女が私よりかなりのお姉さんだったため、育児に関わる色々なことを相談できました。大規模保育園の様な立派な施設・カリキュラムや遊具施設はありませんでしたが、そのお宅でご契約なさっているシェア畑で泥だらけになりながら農作物の収穫をお手伝いしたり、他の園児ご一家たちも一緒にお出かけをしたりと、文字通り家庭的な環境で子供たちは毎日を過ごしていました。

 子供たちが3歳児になると卒園です。そのため大規模保育園に入園し直しました。その保育園ではお友だちとの社会的関係を構築です。さらに「おばちゃん」ではなく、保育士(先生)との関係も新たに学びます。今から考えると子供たちのみならず、私にとってもこの段階を踏んだ保育は勉強になったものです。

 その後子供たちの成長につれ、段々と家庭福祉員とは疎遠になって行きましたが、ある日彼女が定年に達し、そのお仕事を引退するというお知らせが届きました。息子が20歳の時です。お別れパーティーに馳せ参上し、彼女と本当に久しぶりにお会いしました。そして長い間本当にお疲れさまでした、今後は悠々自適ですね、と話題を振ると、何と彼女は今後、故郷(西日本の離島です)に期限付きで戻り、嘱託として保育士を続けるとのこと。さらに、彼女が働く場所は実家を改装した場所であること。お別れパーティー当日まで園児の保育を行い、次の日には実家に向け移動することなどをお聞きして、脱帽というか、信じられないというか、唯々彼女の保育に向けた情熱に頭が下がる思いをしました。

 息子の年を考えると、少なくとも20年以上この仕事に携わっていることになります。ご自宅で数人とはいえ毎日毎日月曜から土曜まで、まさしくカレンダー通り子供の面倒を見るのですから、ご主人やお嬢さまのご協力も並大抵ではなかったと想像します。ご主人にとっては、やっと奥さまが定年を迎えられてこれからは水入らずという時に、その奥さまが期限付きとはいえ、遠い所に行ってしまうのはお辛いかと思うのですが。何せ仲が良いお二人でしたから。彼女と同じ道を歩み始めたお嬢さまにとっても、仕事の大先輩である彼女がいなくなるという事はさぞかし不安だろうと推し量っておりました。

 パーティーも終盤にさしかかり、彼女が集まった面々に挨拶をする時間となりました。そこでの私たちに送られた言葉、忘れられません。あのエネルギーと情熱は一体どこから来るのでしょうか。

「島には保育士がおらず、島民が協力し合いながら島全体の子育てをしています。私は自分のやり方で、私を育ててくれた島に恩返しをしたいと思い、今回の赴任を決めました。今でも島の子供たちが、私が行くのを待っています。保育士の初心に戻って精一杯島の子供たちの成長に携わりたいと思います。」

 彼女の心には、やり切ったこの場所での保育士の仕事に関しては何の未練もないのでしょう。唯々、これからまた、創り上げていく自分の仕事、生き甲斐に燃えている様に見えます。

 彼女が旅立ったであろう日から一ヶ月程経って、偶然お嬢さまが運転する車とすれ違いました。おそらく出勤途中かと思われる運転席の彼女は、可愛らしい手差しの刺繍が入ったエプロンを身に付け、髪を束ねており、どこから見ても保育士です。お母さまの生き方はそのままお嬢さまにも引き継がれているようです。ちょっと気になったので、後日ご自宅の方にも足を延ばしてみました。私の子供たちがお世話になったあの頃と変わらず、お庭は綺麗に手入れされ、洗濯物がベランダに干してあり、彼女が仕事と家事を両立させていた時と何ら変わらないように見えます。きっとお父さまとお嬢さまはお母さまの帰りを心待ちにしつつ、ご自分たちも自律して過ごしてらっしゃるのでしょう。

 彼女が島に赴いたのは10年前です。お年を考慮すると今はもうご自宅に戻っていると思われます。それでも彼女は今日も何らかの形で、小さな子供たちの成長を見守る役割をどこかでしているであろう、そんな気がします。

 彼女の事を書こうと思った時、子供たちに家庭福祉員を覚えているか聞いてみました。二人とも答えは「覚えてる」。彼女の顔や具体的なイベントに関しては朧気なのだそうですが、毎日楽しかったことは記憶に残っているようです。彼らにとって、家庭福祉員は昼間のお母さんだったのかもしれません。