みなさま 田中かつゑです。具合が悪くご飯を食べられない仔に人間が食べているお魚を少しあげたら…失敗しました。ニャンコご飯を全然食べなくなりました。今日の朝ごはんはその仔だけ特別に茹でたささ身です。この仔は多分回復することはないと思う病気にかかっているので、今のうちに少しでも贅沢させてあげたいと思う私は過保護なのでしょうか。
今回は私が猫と暮らすきっかけを作ってくれたニャンコのお話をします。
初めてニャンコと生活するようになったのは、もう35年以上前。引っ越しをしたアパートに彼女はおりました。何でも私の前にその部屋に住んでいた方が、引き払う時に置いて行ったとのこと。世の中には残酷なことをする人もいるのだなと思いつつ、別段猫には何も興味が無かった私は、彼女を飼うという発想は全然浮かびませんでした。しかし、毎日アパートの周りをうろつき、いつもお腹が空いた様子で、何かを探し、哀れな彼女を毎日見ていると、同情が湧いてきたのは事実です。そして飼おうという気持ちが決定的になったのは、彼女のお腹が段々と膨らんできたのを見た時。…お腹に赤ちゃんがいる!と悟ったのです。そしてじっとこちらを見る彼女の目。まるで「お家に入れて。助けて。」と訴えている様に感じたのです。このまま、外で出産させたら、母子ともに危険であろうことは容易に想像がつきます。そこで、決心をした私は、餌を使って彼女を間口から部屋に誘い込み、窓を静かに閉め、彼女を迎え入れました。(拍子抜けするほど簡単でした。やはりこの部屋で飼われていたのでしょうね。)念のため動物病院に連れていき、診察をしてもらうと、お腹には3匹の命が宿っていました。母子共に飼う覚悟を決めなくては。
段々と部屋の生活に慣れてきた彼女は4月のある日、とてもソワソワし始めます。出産です。段ボールにタオルケットを敷き、彼女が落ち着いて臨めるようにテーブルを部屋の隅に移動して、その段ボールとお水を入れたお皿をテーブルの足元にセットします。「ここで赤ちゃんを産もうね」と言うと、私の言うことが分かったかのように、よろよろと彼女は段ボールの中に入り、出産の準備を始めたようでした。
多分夜中に出産を終えたのでしょう。朝、(彼女が嫌がるかもしれないと思って)別の部屋で寝ていた私が、様子を伺いに行くと、彼女は産んだ仔猫たちを一生懸命舐めていました、とてもきれいな出産で出血も見当たらなく、胎盤も片付けられています。おかあさんの胸の中には、小さい小さい3匹がおりました。まだ少し濡れていた身体もお母さんに舐められるうちに段々ホワホワとしてきました。「よく頑張ったね、偉いね」と彼女を労い、仔猫たちに目を向けます。
1匹目は茶トラ。一番大きくお母さんのおっぱいを鼻で探し、食いついています。
2匹目は白と茶のブチ。同じく体格は良いのです。おっぱいも飲んでいます。…が、その仔の後ろ脚はまるで魚のヒレの様な形態をしていました。下肢が不完全なのです。
そしてキジトラの3匹目は未熟児でした。他の2匹の半分にも満たない大きさの頭と身体。首は斜頸です。
驚いたことに、おかあさんはこのキジトラに対して、おっぱいをあげようとしないのです。それどころか、自分でキジトラ仔猫を温めることもせず、放っておいたまま、他の2匹の面倒を見ているのです。このままではキジトラ仔猫は低体温で死んでしまう。そう思った私は、急いでペットショップに行き、猫用のミルクと哺乳瓶を買い、その仔を温めながら授乳をすることにしました。おかあさんの行動は一見残酷なようですが、自然の中では致し方がないのでしょう。自身の力で生き残れない個体は成長ができないのですね。
ニャンコの飼育そのものが初めての私は下肢不完全の仔と未熟児を連れて再び動物病院に赴きます。そこで、獣医から厳しいことを通告されてしまうのです。
“下肢不完全の仔は骨そのものがキチンと出来ておらず、成長が臨めない。未熟児キジトラもしかり。自分でミルクを飲めなければ厳しい。”
今、もし同じ状況に立たされたら、私はどうしたのでしょう。いまだに答えはありませんが、その時の私の選択は、白茶のブチは安楽死、キジトラは一抹の望みをかけ人間が授乳で踏ん張る、でした。
薬を注射後まだ体温が残っている白茶のブチの亡骸と、その仔の半分の大きさの低体温になりそうなキジトラを連れて帰ったあと、どのくらいでしょう。ひとしきり泣いたあと、私はおかあさんとなった彼女に言いました。「私の勝手な判断で一匹を死なせてしまってごめんね。あと、キジトラちゃんは頑張って育ててみるから、この仔もあなたから離してしまってごめんね」
結局、未熟児キジトラは生後一ヶ月程で白茶のブチを追いかけるように虹の橋を渡っていき、残されたのは茶トラのみ。おかあさんは茶トラにとっても深い愛情を注いでいる様に見えました。一人っ子の茶トラはおかあさんのおっぱいを独り占め。あっという間に大きくなりおかあさんと同じような背丈になっていきます。
6月の下旬。会社から帰ると、彼女の腕の中に何かうごめくものが。よく見ると生まれたばかりの三毛猫ではありませんか!猫の妊娠期間は約2ヶ月だそうなので、逆算すると出産の直後にまた赤ちゃんを宿したことになります。そういえば、出産後数日したある日、彼女がふらっと外に出て数時間後に帰ってきたことがあるのですが(その後は危ないので一回も外に出していません)その時に???そしてたった一匹?幸いなことに、三毛は元気でほっとしたのですが。
家で生まれて、外の世界を知らない仔猫たちは警戒心を持ちません。人間も仲間だと思っている節があります。そんな箱入りニャンコたちに彼女は狩りを教え(我が家に時々入ってくる蜘蛛やムカデを退治し、子供たちに見せていました)、トイレを教え、人への接し方を教え、愛情を目一杯注ぎました。ご飯は必ず子供たちの後に食べ、自分よりも大きく成長した仔たちが甘えておっぱいをくわえに来ても嫌がらずにそのままにしており、愛おしそうに子供たちの毛づくろいをしています。おかあさんと子供たちが仲良く丸くなって寝ている姿は微笑ましかったです。
気が強く、家族以外の人間には非常に攻撃的だった彼女は、予防接種時に獣医に対して異常なほど抵抗し、動物病院を出入り禁止となってしまいました。そのため、ある日多分何かの病気で動けなくなった彼女に対し、私はそばにいることしかできませんでした。出会って16年後の秋に、白茶のブチとキジトラが待つ虹の橋へと旅立って行った彼女。最後まで残った茶トラと三毛のおかあさんとして振舞っておりました。
子供に対する愛情がとでも深いがために、私を子供を守るための下僕としてしっかりと躾をし、清潔で安全な環境とご飯を用意させ、子供の成長を見届けてから旅立った彼女。私がおぼろげに猫に抱いていた「自分勝手・気まぐれ・我儘」というイメージとはかけ離れていた愛情深い彼女。その彼女の子供たちはそれぞれ20年、18年と天寿を全うし、私に猫と暮らす嬉しさ、楽しさを充分教えてくれました。
あの時、彼女が妊娠していなかったら、そして私に助けを求めてこなかったら、今我が家には9匹ものニャンコはいなかったと思います。元々犬派の私がこんなにも猫が可愛く思う事もなかったでしょう。お母さんニャンコの名前は「まみ」。初めて我が家に来た時にあげた鰹節を頬張っている時に顔中鰹節まみれになったことが命名の由来です。