みなさま 田中かつゑです。年寄りになったせいか(半世紀以上生きてますからねえ)物質や情報に恵まれた昨今の環境で、疑問に思う事が増えてきました。それは、「やる気スイッチ」みたいなものを、誰かが対象者に対して押さないと物事が進まない…」ということ。言い換えれば、お膳立てが整わないと、重い腰を上げようとしない人の不思議。
数年前にMathematicaのコミュニティ活動が九州で開催されたんですけど、私の知り合いは有給休暇を取って勇んで出かけていきました。数学にそれぼど興味のない私は、ノベルティのボールペンを撫でている彼を温かく見守りましたが(還暦の方です)。
バイタリティーと行動力すごいですね。飛行機と宿代払って、仲間と(英語っていうか数学語で?)語らい、心身ともに満たされ、明日へのエネルギーをチャージ。こんな人みなさまはどう思いますか。
(ちなみに彼は今も元気一杯でAIの勉強をしています。若人を募って機械学習のエンジン作ってます)
で、ふと考えたのですが、あまりにも周りの環境が整いすぎていると、自分から「追い求める」という発想がもしかして無くなってしまう??(仮説です) 先日、友人がテレワークで身体が鈍ると言い出し、ジョグ用のウエアーとシューズを買いました。ところが…夜は不用心だから、朝は家事があるから、じゃあ昼は? 紫外線浴びるから…。とどめは休日はのんびりしたいから…と。結局未だに手付かずなんです。うーん、やりたい、と言いつつ、出来ない言い訳を探しているんですね。本音はやりたくないってことですか? と聞いてみたい衝動にかられましたよ。
……ここまで読んで、胸の奥がチクチクした人。あなたは成長しますよ。そうですよね、今の自分の周りは決して自分中心に回っているんじゃない(世界を掌握している神じゃないので)。だから、自分で考えて、行動して、結果出さないと周りからは認められない。よく気が付きましたね。
やり方がわからない? google先生に聞くのも良し、先陣切っている人を探すのも良し。動いてみること、しつこく藻掻くことが大事だと、人生の先輩として思うのです。無いものねだりで不貞腐れたり、諦めたふりをして斜に構えるよりは、やってみた方が良いと思いませんか? 少なくとも自分自身には誇れるはずです。
出来ない言い訳を100個考えるエネルギーと時間を、出来るために工夫する時間に変えましょうよ。足踏みしているもどかしさを、前に進む清々しさに昇華させませんか?
何よりも言い訳しているあなたより、黙々と前に向かって努力しているあなたの方が、何百倍も素敵で頼もしいです。言い訳は、しているご本人にとっては自分を正当化している言動なのかもしれません。けれど、聞いている側からすると、ご自身の評価を自ら下げる材料になることもあるんです。そんなの嫌ですよね、お互いに。私もあなたの「出来ました!」って笑顔を見たいと切望しています。