役員メッセージ 家族、友人、周りの方々との関係

かつ便りNo.114 ~里帰り~

 

 みなさま 田中かつゑです。食器を洗い、器をそのまま置いておくと、その中に少し残っている水を飲みに来る仔がいます。正確にはぬるま湯がお好きなようで、入れろと催促してきます。あなたのお水は他の場所にあるのですが…どうも毎朝の彼のルーティンになってしまったようです。とほほ。

 私は大学入学と同時に故郷を離れ、それからうん十年帰郷しておりません。単純に帰る家の存在がなくなってしまったためで、帰省できる方々を少し羨ましいと思った事もありました。そして今、私の家が故郷となり、独り立ちした息子と娘が帰省してくるようになりました。我が家の子供たちは、親孝行をしようと考えてくれているらしく、長期休みには帰省してくれるのですが、そこでちょっと気がついたことがあります。それは、「(ほぼ無意識に)お互いに一緒に暮らしていた時の家族形態を演じているのではないか。」ということ。つまり、私は「母」、彼らは「母に保護されている子供たち」という役割分担をこなしている様に見えるのです。

 彼らは立派に成人しているし、独立した生計を立てている。家事一般もこなし、大人としての所作も心得ているはずです。自身の居住する場所に居るときは(多分)。けれど、帰省した彼らにとって、キッチンは母が料理をする所、洗濯機は母がお洗濯をする機械、掃除機は母が家を綺麗にする機械、そして雑務は母の担当。誤解を恐れずに言うと、私の家に帰ってきた瞬間から、彼らは「母(私)の子供たち」に戻っている様なそんな気がするのです。

 一方、母である私から見ると、久し振りに沢山の料理を作り、子供たちの世話を焼くのは嬉しい事ではあります。けれど、初日の感動は日数と共に薄れていくのですね。そこはかとない違和感が生じてきます。(ああ、子供たちと一緒に居るのが既に「日常」ではなくなったのだな…と自覚し始めます。)そして数日後、各々の生活拠点に戻っていく彼らを見送りながら、寂しさと同時に僅かにほっとした感情が芽生える自分を感じてしまうのです。

 これはもちろん彼らが彼らなりに培った生活リズムと私のそれが異なっていることが原因の一つなのでしょうが、他にも思い当たることがあります。まず、私が年を重ねたこと、子育ては終了したと自分の中で線を引いたこと。つまり、私自身が子離れをし、同じように彼らも親離れをしたということなのでしょう。その心の状態と昔の慣習が交錯する里帰りなので、お互いに無意識に昔の関係を演じているようです。

 年に1回あるかないかの里帰り。これからは時間をかけてゆっくりと、老いる私と社会経験を重ねる彼らとの時間を共有することになります。きっと、ぼちぼちと話す仕事のことや、人生の機知、悲喜こもごもなど話題は移り変わっていくでしょう。そしてこれは確信なのですが、私の心の目には(子離れしたとは言っても)まだまだ小さい息子と娘が写っているのです。そのせいか、細々と始めた終活でも、彼らが保育園・小学校などで作った折り紙・絵・図工などを捨てる決心がつきません。

『たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず  石川啄木』

“Just for laughs I gave my mom a piggyback ride but she weighed so little I started crying and couldn’t take three steps. Takuboku Ishikawa “

きっといつかこんな日がくるのでしょうね。