みなさま 田中かつゑです。多頭飼いの宿命か、誰かが風邪などをひくと直ぐに他の仔にも移るリスクが発生します。今も胃腸の風邪をひいた仔がいるのですが、3段ケージに隔離です。お薬飲もうね。早く元気になろうね。いつもうるさい位に元気な仔が不調にじっと耐えている姿を見ると、代わってあげたい、と切に思います。
私が若い頃、WWWやInternet 検索エンジンはまだ発明されておらず、最初に触れたWWWはInfo Mosaic、検索エンジンはAltavistaでした(ご存じの方は同じ世代とお見受けします)。情報は活字・人からの伝え聞き・メディアから得るのが主、何を調べるのも一朝一夕には答えらしいものにはたどり着けず、角度を変えて検証したり、調査の仕方を変えることで真偽を掴もうと色々工夫をしたことを覚えています。
自分に足りない知識は辞書を片手に模索し、先人の素晴らしき機智に感銘を受け、諸先輩方の半ば武勇伝のような話でも知らない世界を垣間見る様で食い入るように聞き入りました。それだけ入手できる情報が限られていたわけです。
片や今は検索エンジンまでが対話でき、AIが先回りまでしてくれ、どこにいてもどんな情報でも(真偽の程はさておき)簡単に入手できるようになりました。それはそれで喜ばしい事なのですが、時々自分の思考回路に赤信号が灯るときがあります。それは、出所が検証できていない+数値データが示されていない+主観が表に出ている記事に触れた時。あるいは、初めから結論ありきで、それ以外の意見・主張を反故にするような荒々しい文章に出会った時です。それらの記事を読んでいると、ふと引き込まれそうになるのですが、その内容が妥当なのかどうか判断がつかなくなってくるのです。もちろん、雑談レベルの会話や仕事に無関係な話題なら「そんな考え方もあるのね。」で済ませられるのですが、お客様との会話や、仕事で報告するレポートなどに関ると非常に厄介なことになるぞ…と。
例を挙げてみましょう。あなたが健康のために運動をしようと考えたとします。ウォーキングなどが手軽に始められて良さそうですね。さっそく検索エンジンに問合せると、こんな記事を見つけました。
記事内容:1日1万歩の散歩が健康の秘訣
良い記事ですね、さあ1万歩を目指してウォーキングを開始しましょうか。
でも、何故1万歩?毎日?サボったらどうなるの?健康に良いって具体的には?歩いていれば他の事は気にしなくていいの?などなど。沢山疑問が湧いてきませんか?
そうです!その出てきた疑問こそ大事なポイントなのです。
私なら以下の様に考えます。
- 記事内容の根拠がどこなのか調べる。不明の場合は「その記事を書いた人の主観である」(つまり、私に当てはまるとは限らない)と割り切る。
- 当初の目的である『健康』とはどんな状態なのかを、そして自分が何故今の状態を『健康ではない』と判断したのかもう一度振り返る。
- その上で自分に必要なのが何なのか(体力をつけること/筋肉を付けること/活動的になること、等)を決める。
- 上記を総合的に見て、まずは自分としての目標歩数と期間を決めて実行。同時に他の健康に関する施策(食・睡眠・運動・精神安定等)を調査する。
洪水のように溢れている情報の中から、正しいと思われる物事を見つけ出すのはとても大変な作業だと思います。ただ、その時にはいつも肯定と否定の両方の情報を見比べ、それらの発信元を確認し、出来れば数値データを読み取るスキルを持つこと(数字は時に主張する内容に合致するように加工されます)。多方面から分析できる柔軟な考え方ができる事(決めつけないこと)。
情報に溺れず、賢く活用し、自分の知識・経験を上手く活かしながら成長していきたいですね。