役員メッセージ 素敵な方々

かつ便りNo.140 ~バトンを託す~

 

 みなさま 田中かつゑです。朝食の用意をしていると、必ず足元にまとわりついてくる仔がいます。可愛いのですが、邪魔なんです。うっかりすると尻尾を踏みそうになり、身体を蹴りかけ、気が気ではなく。おまけにこの仔は私の脛を舐めてきます。…くすぐったい…おかあさんの足は美味しいですか?

 知り合いの男性が家業を継ぐために退職しました。30歳になるかならないかの彼の生家は洋菓子店。生クリームとふわふわのスポンジ、フルーツの香りに囲まれて育った彼は「パティシエ」と言うよりも「ケーキ屋さん」と呼びたくなるような優しい風貌をしています。その彼は、私と同じIT業界でネットワーク関係の仕事に携わっており、真面目にコツコツと努力をする人でした。

 その彼から会食に誘われたのは初夏のある日。いつものように穏やかな笑顔で現れた彼から聞いたお話は、私からすると初耳だらけで、それはそれは驚きの内容でした。

「実は家業を継ぐことを決めたのでご報告です。」

ん?家業?ご実家は何かご商売を?彼の私生活については何も知らなかった私は、そこから詮索好きのオバサンに変身です。そして、彼のご幼少時代からのお話を聞いていると、お父様が長い長い時間をかけて、次に渡すべくバトンを用意していたことが分かりました。

  • 物心ついた頃からお盆、クリスマス、お正月等の大きなイベント時にはケーキ作りを手伝っていたこと
    (小さい頃から衛生管理が出来ていた。イベント時には自分たちは楽しませる側の人間だという覚悟が培われた)
  • 年齢と共に挑戦させてもらえるケーキ作りのプロセスが複雑になってきたこと
    (最初は果物のスライスから。生地の焼き加減、泡立てるクリームの塩梅、美しいデコレーションとそれに伴う飾り付けの備品仕入れなど、お父様からは様々な工程を一つ一つ丁寧に教えて頂いたそう)
  • ケーキ作りが上達するにつれ、お父様から什器の手入れを事細やかに繰り返し教わったこと
  • 売れ残った場合に商品を破棄するお父様の、悔しさと悲しさが入り混じった表情をずっと見てきたこと

 製菓専門学校に行かずとも、彼は20歳頃までにはお店で出しているケーキは全て一人で作ることが出来、お店に彼の商品も並んでいたそうです。

けれどその頃、皮肉なことに若い彼の興味はケーキ職人よりも、ITの技術に向いており、大好きなネットワーク技術者としてのキャリアを積み始めました。その関係で、私は彼と出会ったのです。IT業界にドップリと漬かった10年程で、彼はキャリアを着実に積み重ね、今後が楽しみな技術者として活躍しておりました。

その彼からの「ケーキ屋さんになる」宣言は背景を全く存じない私にとっては正に青天の霹靂。
IT技術者として彼を見た時、「もったいないなぁ」というのが正直な気持ちでした。

 けれど、お父様からの大事なバトンを受け止めようとしている彼を見たら、それはもう、応援するしかありません。

「小さい頃から、僕の家はクリスマスとお正月が無かったんだ。クリスマスツリーなんて飾ったこともないし、チキンを食べたこともない。ましてやおせち料理なんて何それ?って感じだったんだ。ずっとその期間は家族総出でひたすらケーキを作って売って、食事は各々でコンビニのお弁当を立ったまま食べて…の繰り返しだったからね。だから正直クリスマスケーキは(個人的には)見るのも嫌なんだ。ケーキ屋の宿命かもしれないけど。」

「でもね、自分たちが作ったケーキが、沢山の家庭の楽しいクリスマスやお正月に役立ってくれるんだな、と思うとケーキ職人として嬉しいんだ。たかがケーキかもしれないけど、それを食べているみんなの笑顔が浮かぶんだ。」

 今後彼はお父様から事業を引き継ぐために、彼自身の食品衛生責任者、飲食店営業許可等の申請などの手続き、備品仕入れ先・担当税理士さんとの顔つなぎ、販路の維持と新規顧客の開拓等、ケーキ作りだけではなく、経営者としての技量も磨かなくてはなりません。大手製菓メーカーがひしめく中で、個人経営のケーキ屋さんは苦戦を強いられていることも情報として流れてきます。

けれど、お父様が先代から受け継いだお店をしっかりと守り発展させてきたように、彼も3代目としてそのお店と美味しいケーキの技術をますます発展させ、伝統を守りつつ新しい事にも挑戦していくであろうと、バトンをしっかりと受け取った彼を見て思うのです。

 その洋菓子店は、ゆずやレモンなどの地元の農作物を取り入れた焼き菓子がご贈答に良いとのこと。早速お友達へのプレゼントとして買いに行くつもりです。