みなさま 田中かつゑです。毎日猛暑が続きます。ニャンコたちは思い思いの場所で涼を取っているようですが、長毛種はやはり暑そう。仰向けプラス大股開きで寝転がっている様は、見ているこちらの方が恥ずかしくなるようなあられもない姿なのですが、本ニャンは熱を発散しているのでしょうね。
身体と脳はいくつになっても鍛えた方がいいのだなとつくづく実感したことがあります。
先日初めて単独ハイキングに挑戦した時の事です。いつもは同行者の体力に合わせての行動だったため、登山ルートの選択・歩行の速さ・休憩タイミングなどは同行者の体力に合わせ(つまり基準が私の体力ではない状態)様子を見ながら決定をしていました。そのため、実は自分自身の事について恥ずかしながら把握をしていなかったのです。
その日は早朝に家を出、電車を乗り継ぎ慣れ親しんだ山の登山口に着きました。さて、どのルートで頂上を目指しましょうか。せっかくなので男坂(※)ルートを選び出発です。
(※山によっては、「男坂」:階段が主のけわしい道、と「女坂」:なだらかで距離が長い道、があります)
一人のため、怪我やバテてしまう事は絶対に避けなければなりません。さらにその日は夕方から用事があったため、該当コース5時間所要を4時間半ほどで終わらせる必要がありました。早朝とはいえ、猛暑真っただ中。念のため大きな水筒2つに加え、凍らせた500mlの飲料を用意しましたが果たして下山まで持つのか少々不安。加え選んだルートは乾燥した岩がゴロゴロあり、鎖場もあちこちに。足場をしっかり確保して滑らない様に気を付けながら進みます。
歩行速度・水分を摂取するタイミング・自分の疲労具合の把握・休憩場所の選定と時間の調整・下山に備えた余力の把握。うん、自分だけだとこれらの調整が結構難しいです。ついつい今の大丈夫な自分に合わせて暴走しがちになります。自爆しない様気を引き締めなければ。
登山口から頂上までは凡そ2時間半の道のりです。頂上に近づくにつれ、気温が低くなり空気も澄んできます。それはそれで気持ちが良いのですが、同時に傾斜もきつくなってきます。時々すれ違う下山のハイカーが「(頂上まで)もう少しです」「xxxは足場が悪いのでお気をつけて」「あの方角からyy山が綺麗に見えますよ」など、心強いエールをくださいます。この見知らぬ人々が、山を登るという共通の目的に対して、互いに応援し合う、これもハイキングの醍醐味だと思います。人と話すことで元気もチャージでき、また頑張ろうという気力も湧いてくるのです。
さあ、頂上に着きました。普段は遠慮がちに食べる甘いものも、山では解禁です。なんせ高カロリーな食べ物を摂取して身体を労わってあげないとバテてしまいますからね(この時点で私のスマートウォッチに表示されたアクティブエネルギーは800Kcal消費です)。
ん~至福のひとときです。
さて、汗も引いて元気も取り戻してきました。下山です。実は下りは登りよりも慎重にする必要があり、特に留意すべきなのが膝と足首への負担なのです。ハイキングを始めた頃は、苦しい登りと比べ、身が軽い下りで調子に乗って、転ぶ・滑る・膝が笑うなどのアクシデントに何度見舞われた事か。しかも今回は一人です。何かあっても助けてくれる人はいません。周りと足場を確認し、しっかりと踏みしめながら進みます。登りの方とすれ違う時には、先ほどお声がけくださった方々の様に私も頑張っている方に対してエールを送ります。2時間でふもとまで降りる予定のため、休憩は取らず黙々と下ります。ややもすると、登っている時より真剣な表情をしているかもしれない私。事故が無い様、怪我をしない様前後左右に気を配りながらの下山です。
ようやく登山口までたどり着き、とんぼ返りで帰路につきます。夕方の用事には何とか間に合いそうです。おっと、いけない。「過ちすな。心して降りよ。」ですね。帰宅するまでがハイキングの工程です。疲れて電車の中で眠ってしまわないように、緊張は続きます。また、汗にまみれた身体と荷物が他の乗客の方々にご迷惑とならない様に配慮しなければなりません。自宅の框を上がった時、それまでの緊張が解けたのか、どっと疲れました。良い経験ではありましたが。
自然の中に自分の身を置く時には、入念な準備と、無理をしない計画、そして危機に対する勘を養うことがとても重要になってくると思います。私自身も今回単独のハイキングに挑戦出来たのは、「何度も登った(経験値がある)山」であり、「登山ルートを正確に守り」、「早朝出発で何かあった時のリカバリが効く状態」だったこと。そして「五感を研ぎ澄まし、油断をせず慎重に行動した」ことが無事故で帰宅できたことに繋がったのだと思います。実際同行者がいる時よりも2倍くらい疲れた感があります。それだけ緊張していたのでしょう。次に行くときは、もう少し「楽しかった」要素を入れたいな、と山腹で撮ったyy山の写真を見ながら思うのでした。