みなさま 田中かつゑです。手を洗うと油分がなくなってしまうので、ハンドクリームが必需品です。ね。でも…洗い立ての石鹸の香りもハンドクリームもニャンコたちはお気に召さないようで。…抱っこさせてくれない( ノД`)シクシク…
世の中にはご自身の考え・思いを文字、音や描画、芝居 etc. で外に向かって表現できる方が沢山いらっしゃいます。私の娘もデザインという形で自分の価値観を表現しています。自分の分身みたいな形あるものが残るんだな、羨ましいなと思うと同時に、絶対にできないであろう自分がいます。だって自分の内面をどんな形であれさらけ出すって、ものすごく恥ずかしいですよ。(じゃあこのブログは何?)
表現を生業にしていらっしゃるみなさま、ご自分の生きざまを形にするってすごいです。で、考えていくと、ハタと、自分の「生きる」って何なのだろうと思ってしまいました。30年以上仕事をしてきて、経験・出会い・スキル等は積み重ねた自負はあるんですが、それは形として残るのだろうか。残すのが「生きる」こと? 何か違うぞと。
今、自分なりに納得しているのは、詩人の谷川俊太郎さんの、まさに「生きる」。自分にとって良いことも、悪いことも、衝動的なことも、耐えることも全部含めて、受け止め、時にはかわし、自分だけの道を前に進もうと。
前に進む。これ、結構難しかったりします。進めない言い訳は沢山あるし、怠け心は始終、隙を狙ってるし、外部要因によって、現実出来ない事もあるし。水は低きに流れるとは良く言ったものだと思います。
ただ、想像してしまったんです。仕事から完全引退した後の自分を。毎日が日曜日となった有り余る時間をホゲ~っとしていたら……呆ける。必ず!!!そしたらゾクッとしましたよ。濡れ落ち葉???ってこうやって発生する訳???なのかと……
自分はまだ若いし、やらなければならない事がいっぱい過ぎて余裕ないし、年寄りの戯言でしょ? と思ったそこのあなた。甘いです。忙しいと思っていても主体性が無く流されているだけの毎日は前進とは言わないんです。前進とは、自分なりのなりたい姿を描いて(なければ創って)そこに向かって勉強・経験・知識・失敗・成功などを携えていく。自分の意思で。そして時々振り返りながら軌道修正をかけていく。時には自分の内部と向き合い、勝負する・逃げる・仕掛けるなどの博打を打つ。
こうやって、自分だけの道を築いていくのが前進なのだと思います。
私がどのように生きるかを考えていたのは、まさに完全引退後の人生をどう進むかという事でした。前に。ひるまず前に。楽しく。もしかすると、懲りずに次のビジネスを考え実行しているかもしれない。若いみなさま、亀の歩みになった私に追い付かれないよう、しっかり走ってくださいまし。
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