みなさま 田中かつゑです。ニャンコは年齢を重ねると、段々と自分の毛繕いが出来なくなります。そのため、冬に身体を覆ったアンダーコートが夏になってもそのまま体に残り、ゴワゴワな毛並みになってしまいます。人間が小まめにブラッシングしてあげるのがセオリーなのですが、どうにも取り切れず…毎日お掃除をしても、すぐに毛がホワホワと舞う我が家なのです。
数年おきに同窓会のお知らせが舞い込みます。私の実家は転勤族だったため、お知らせは高校のそれになります。大学進学時に実家を出た私にとって、高校までの親の加護がどんな形であれ必要だった人生は、心の中で捨て去った過去となっています。そのため、今回お知らせが届いたときにも、そのまま郵便物をゴミ箱にポイしようと思ったのですが(余談ですが、「ポイする」とは幼児語で、小さい子供に触れていた大人が使うことが多いのだそう。へぇ。)ちょっと考えなおして、部活動が一緒だった方々に打診をしてみました。そうしたら仲が良かった6名全員が出席するとのこと。「かつゑもおいでよ。久しぶりに色々話そうよ。」とお声が掛かります。
私は、「ありがとう。予定を確認して改めて出欠のご返事をさせて頂くね。」と大人の対応をし、熟考に入ります。実は私が「行く。」と即答できないのはこんな理由があるのです。
- 実家がある地方都市のその高校では、卒業後の各人の進路は地元の大学進学または、地元での就職がメイン。私の様に帰省に時間が掛かる場所に生活の根を下ろしている同級生は殆どいない。
⇒40年以上地元とは異なった環境で暮してきた私と、同級生の会話内容のズレが半端ない。(10年程前に一回同窓会に参加をしたのですが、そのズレに戸惑うだけで一次会の時間が終了しました。二次会は申し訳ないけどご遠慮申し上げました。) - 交通費+参加費+宿泊費を合わせると5万円以上かかる。それだけのお金を出す価値があるのか、の疑問。
⇒お金が惜しいというより、同窓会で昔話に花を咲かせ、懐かしいねぇ、と感慨にふける事に対する疑問です。何か生産性があるのか、みたいな。(この考え方がそもそもダメなのかもしれないけど。) - 私自身が懐古の情を持ち合わせていない。
⇒そのため、過去の出来事やイベントなど結構忘れていたりします。なので、「あの時xxxでyyyだったよねぇ。」等と話題を振られても、申し訳ないのですが殆ど忘却の彼方なのです。
けれど、同窓会とは別に、故郷に赴いたらお会いしたい方が3名いるのです。
お一人目は高校時代から社会人3年目頃まで、私に社交場での大人としての立ち振る舞いや礼儀作法を教えて下さった方。ただ今御年78歳。お身体を悪くなさったと聞きました。今はどのようにお過ごしでいらっしゃるのでしょうか。
お二人目は高校生で何も知らない私に対し、包丁の持ち方から、出汁の取り方に始まり料理全般を教えてくださった方。御年72歳。もう40年以上お会いしていません。お住まいも分からず。
最後は、社会人になって故郷に帰らなければならない用事が出来る度に、色々愚痴や悩みを聞いてくださった小さな居酒屋の大将。ご夫婦でこじんまりと経営していらっしゃった10名も入ると満員のカウンタだけのお店。奥さまが10年程前にご病気で他界なさり、今は大将お一人で経営なさっていると風の噂で聞きました。まだお店はご健在かな。御年75歳位だったと記憶しています。
この3人の方々は若輩者だった私を指導してくださり、社会に出ても恥ずかしくないように大人の流儀を教えて下さった恩人たちです。彼らにもしお会いできるのなら、同窓会にかこつけて故郷に赴きたいのですが、残念なことに私は彼らが居住していらっしゃる場所も連絡先も存じ上げないのです。
そんな訳で、やはり今回は欠席のご返事をしようと思います。室生犀星の言葉が浮かびます。多分私も帰省して同窓会に参加したら、彼の様な心境になるでしょう。過ぎ去った時間はわずかな思い出と共に、そっと心のどこかにしまっておくのが私には似合っているようです。