みなさま 田中かつゑです。ニャンコ抜け毛の季節も終わり、過ごしやすい今日この頃。ニャンコたちのベッドも涼しい床や窓辺から、椅子やクッションの上に代わってきました。とりわけ、テーブルとセットの椅子4客に、一匹ずつ寝ている姿は可愛らしく、ニャンコたちも幸せそうです。しかし、困るのが食事時。椅子に絡みついた猫毛をコロコロで剥がすことことが必須なのです。
先日ご近所さんから「沢山採れたので」と大きめのサツマイモを頂きました。長さ20㎝超え、直径8㎝程、かなりの大物です。それが3本も。採れたてということなので、シンプルにふかし芋で頂くことにしました。蒸気が上がる蒸し器に入れて30分程。美味しそうなお芋が出来上がりました。粗熱が取れたのを確認して豪快にかぶりつきます。おいし…くない…。お芋の甘さ、ホクッとした食感、香りのすべてが感じられないのです。妙に水っぽい、味と香りがしない穀物らしきもの…と言ったら良いのでしょうか。それとも昔のサツマイモの味(知らんけど)なのでしょうか。これまで一度も経験したことがない味に出会ってしまいました。そのため、このふかし芋たちは潰して、お砂糖とバターを加えスイートポテトにリメイクしました。
思い出したのですが、このご近所さん。飲食店を営んでおり、それら材料の一部を家庭菜園で作っているとおっしゃっていました。そして、気前が良く私どもに色々な収穫物を下さるのですが、それらは売り物のそれと微妙に違うのです。例えば、皮がとてもしっかりとしたトマト・虫さんにとても好かれたジャガイモ・残念ながら食べられる中身が見つからない枝豆・紫色よりも茶色い表皮のナス・どんなに煮ても柔らかくなってくれない里芋、等。それでも、お店でお食事を頂くたびに、「これ、出来が良くないけど持って帰ってくれる?」と嬉しそうに差し出される袋。お礼を申し、頂かない訳にはいきません。
ご主人にお伺いすると、家庭菜園歴は結構長いそうです。そしてお店で出すメニューの中でもこれらお野菜は活躍しているとのこと。趣味と実益を兼ねた素敵な菜園なんですね。でもどうしてお味や歯ごたえが売り物のそれらと異なるのでしょう?野菜農家さんたちは特殊な苗を使っている?
そういえば、我が家には果樹が数種類あるのですが(梅・桃・ミカン・ビワ・ブルーベリー)、どれも売り物のようなおいしさはありません。特にミカンは、私が幼少の頃食べた酸っぱい味そのものです。どの果樹もホームセンターで苗木を仕入れ、庭でほったらかし。たまに肥料を与える程度なので大味や甘みが薄いのは納得するのですが、どの果実も皮が固くて厚い。頂いたお野菜と出来栄えは多分あまり変わらないと思います。
伊豆にミカン農家の古い友人がいるのですが、先日ふと思い出して、上記の話をしてみました。その返答はなるほど!と100%納得するものでした。それは、「当たり前だろ?俺たちはこれで(果実や野菜を栽培することで)飯食ってるんだからさ。素人さんが逆立ちしたって、俺らのようにはできないさ。」さらに続きます。「かっちゃん(彼は私をこう呼びます)、俺が持っている山の一つは元々親父が担当していたミカンなんだけどね、この頃の流行りの品種じゃないから、俺はもう全然手入れをしていないんだよ。で、近所の人たちに『ご自由に収穫してくださいよ』って言ってるんだけど、誰も持って行ってくれないんだよね。皮が固いし甘くないからさ。野菜や果樹も生き物なんだから手間暇かけて育ててあげないと、良い品ができないんだよ。」
ああそうなんですね!玄人と素人の違いは歴然と存在するのですね。ものづくりに関しては門前の小僧習わぬ経を読むとはいかないことが分かります。そういえば、昔、子供に算数を教えた時のことを思い出しました。今の小学校で和算を教えるかどうかは分かりかねるのですが、私の子供たちは鶴亀算、旅人算、時計算などに代表される和算を小学校高学年で習っておりました。宿題をやっていた彼らが、分からない所があると私に聞いてくるのですが、私はついつい洋算(x,yなどの変数を使用した解き方)で教えてしまいそうになるのです。そうすると、子供たちは混乱し、「先生が言っていることと違う」「わからない」と堂々巡りがはじまってしまいます。そこで私は和算の解き方を勉強し、指導の仕方を調べてから臨んだのですが、やはり素人の付け焼刃ではいかず、「自分で考えるからいいよ」と子供たちに呆れられたことが何度か。これは彼らが中学校に進級し代数を習うまで続きました。教えるということにもプロの技術が必要なんだな、だから学習塾が流行るのだな、と妙に感心した覚えがあります。
私自身は仕事に従事してあと数年で40年になります。この長い年月で何のプロになることができたのだろう、と時々考えます。仕事を通じて技術だけではなく、チームビルディング・マネージメント・交渉・契約・予算・企画など、様々な事に関わりましたが、それら全てに「プロですか?」と改めて問われると躊躇する自分がいます。子供を二人育てはしましたが、子育てのプロ、ではありません。毎日家事をこなしていますが、料理人?清掃業?クリーニング屋さん?でもありません。沢山のニャンコたちと暮らしていますが、動物愛護のプロではないです。
けれど、仕事を通じて色々な方々と出会ったことで、「経験をバネにした感謝」という温かい感情はまぎれもなく存在していることが、年を取った今は分かっています。一つ一つの経験(苦しんだことも涙したことも怒ったことも含め)はその道のプロには到底及びませんが、全ての経験の集合体が他の人とは絶対に異なる「私自身である」と思っています。今後の私は自分の得てきたことを適材適所に後人に伝える、いわゆる昔の長屋にいたご隠居さんでしょうか。若い方々の迷いに寄り添い、進む方向を後押ししていけたら良いな、と思っています。