みなさま 田中かつゑです。朝、「行ってくるからね。良い子にしているんですよ」とニャンコ×8匹に声掛け。そうすると、ゴロンとお腹を見せて、「撫でて~」。よしよしと、ひとしきり。で、頃合いを見て「行ってくるからね」以下振出しに戻る。日課でございます。
寓話で「ウサギとカメ」ってありますね。道徳的に言うと、自信過剰は物事を逸する(ウサギ)、またはコツコツと努力を積み重ねることで大きな成果を挙げられる(カメ)。
小さい頃、あのお話を聞いて、心の中で???が渦巻いたことを思い出しました。それは、
- ウサギはなぜカメを馬鹿にしたのだろう。
- カメは丘越えという足の遅い者にとっては不利な勝負をなぜ挑んだのだろう。
- 競争途中なのになぜウサギは自主休憩しちゃったの?
- カメさん、ウサギさんを起こしてあげようよ・・・
簡単に言うと、うさぎとカメの仲が良いのか悪いのかわからなくなって、もやもやしてきたのです。
もしも仲が良いならカメを馬鹿にするウサギが不思議だし、仲が悪いのなら競走しないよね…変だなぁと子供なりに感想を抱いたのですね。(完全に単細胞ですね…)
さて、このお話を単なる道徳的指導では無い目で見ると、こんなことが言えるのでは? と思います。
- ウサギさんへ:自分と異なった特徴は拒絶より、認め合い称え合う方が良いよね
⇒ カメさんの足は重い身体を支えられる力があるし、泳ぐのがとても上手です - カメさんへ:競走も良いけれど、協業で実りのあるゴール設定があると尚良しかな
⇒ お互いの特徴を活かして何かを創るってどうかな - お二人へ:疲れちゃったとき、迷ったりしたときはメンバの労わりや励ましで元気回復するよね
⇒ 一人じゃないから相談できる。みんなと一緒に頑張れる - お二人へ:ゴールの喜びをみんなで分かち合いたいな
⇒ 打ち上げ! お疲れさま。また一緒に挑戦しましょう。
私自身がお話の中でも現実でも、誰かの負の感情を目の当たりにするのが嫌なんでしょうね。
もちろん、私は聖人君子ではないし、短気だし、喜怒哀楽が結構出る人間です。でもそんな私も自分だけの物差しで世の中が動かない事は分かります。なので、人付き合いに関しては失敗&経験&勉強、と今でも発展途上です。
その中で絶対にブレてはならないと固く思っている事、それが「自分と他の人とは違う」というその1点です。
例えば、私には戦友というか、仕事や事業で苦しい時に支え合ってきた友人がいるのですが、その人と私は性格が真逆です。同じものを見聞きしても着眼点・感じ方・反応が面白いほど違います。出会ったばかりの時は正直変な人だなと思いましたが(だって、逐一こちらの言うことに突っかかってくるので…)、そのうちに「違う」ということを素直に認めたら、「へえ、こんな考え方もあるんだ」と逆に自分の思考回路の引き出しが広がったような気がしました。今でも「今ここでその反応ですか…?」と思う事は多々ありますが、逆に自分では気が付かなかったことをテーブルの上に広げてくれるので、ブレスト等の時には非常に助かっています。また自分のロジックが偏っていないかの検証にもなり、戦友様々です。
ウサギさんとカメさんがお互いの得意な所を活かしながら山越えをして、ゴールでマシュマロを焼いて食べる…なんで寓話があったらいいな(面白くなさそうですね…)。
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