みなさま 田中かつゑです。畳のヘリに小さな蜘蛛がいました。それを遠巻きに見ている、我が家のニャンコたち。親から捕まえ方を教えてもらっていないので、どうしたら良いのかわからなそう…。興味津々なのに。本能が騒ぐのに。何もできない…
先日、友人と家飲みをした時のお話をします。彼女は努力家(表には見せないけど)・如才ない・明るいと、とても素敵な方で、お会いしていると勉強になったり、新たな刺激を得たり、落ち着いたりとプラスの効果をくださいます。
その彼女が言っていたのは、「本を読んで解った気になるのはダメ」「批評批判する人に『出来るの?』って聞きたい」。すっ鋭い……
彼女曰く、行き詰ったら基本に帰ることが大事なんだそう。理由は、基本をおろそかにする、あるいは基本を忘れてしまう時に、迷い・行き詰まりが発生するから。なので、彼女自身もそんな場面になったら、必ずバイブルと位置付けているビジネス書を読み、毎回新たな気持ちで演習問題に取り組み手を動かしながら考えを整理しているとのこと。
ここのポイントは「演習問題に取り組み」です。何かのきっかけで本を読み返す人はかなりの数でいらっしゃるでしょう。読み返すだけでも(こちらの成長具合や、価値観により)、同じ本を読んでも新たな発見があったり、気づきがあったりもします。けれど、その本に演習問題が載っていたら、やりますか? 私は正直、Noです。面倒くさいし、価値を見いだせないし、もうその段階は卒業していると思うし…理由はいくらでも出てきます。
ところが彼女は違った!!! 毎回きちんと白紙の心でその本と向き合い、活字を自分の中に吸収し自分の言葉に置き換え、きちんと理解して使いこなせているかを演習問題で明確にし、自省の材料としていたのです。さらに驚いたことは、その演習問題をプレゼン資料としてまとめ、応酬話法まで作るという事を聞いたとき。彼女、その一連のしんどい過程を、ビールを飲みつつ、トウモロコシをかじりながら、さらっと言ってのけたんですよ。私、酔いが吹っ飛びました。
なるほど、交友関係が広い彼女が、会う人会う人の心を鷲掴みにしてしまうのは、とても細やかで丹念な事前準備があるからこそなのですね、と合点がいったのです。そういえば、前職の私と会う時も、私が好きな系統のお店に必ず連れて行ってくれたし、話題も私に合わせてくれていたし、お店のスタッフの方々へのお心遣いも細やかだったなぁ、と彼女の見えない努力が種明かしの様に納得出来ました。
きっと彼女はいつも、論理と実践の両方を通じ、王道と例外の両面から物事を捉え、確実に自分のスキルとして身に付けている方なんだと思います。そしてその努力を、他の人には悟らせない。脱帽です。参りましたの心境です。
評論家の様に「~すべき。」を論じる方はたくさんいらっしゃいます。またどこかで聞いたような…受け売りのご意見をして下さる方もいらっしゃいます。けれど、本に書いてあることや人から聞いたことと、今ここで起きていることは違います。困ったとき、意見が欲しい時は、やはり同じように乗り切った方のお知恵を拝借したいし、生きたアドバイスならスッと心に入ってきます。また何も言わないけれど、その人の存在そのものが、自分に元気を与えてくれるオーラになることもあります。
きっとそれらは、その方の年輪であり、貴重な成功&失敗の凝縮作品なのでしょう。私も「知っている」種から「出来ている」花を、沢山育てたいと思うのと同時に、その果てしない努力という大海にちょっとまだ怯えています。
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