みなさま 田中かつゑです。我が家の玉子焼きは調味料を入れません。何故って、人間の周りにニャンコの待ち行列が出来ているから。賢いことに、みなさん自分の順番をちゃんと待っています。たまに前足が悪さする仔がいますが…。
この頃自覚したことがあります。それは、相手と対峙していてあれっ?という場面が増えた、ということ。多分これは、私が遅まきながら、自分の殻を破って色々な職種の方々と触れ合うことになったせいだと思います。無意識に前職で培われた物差しを、そのまま今お付き合いをしている方々に当てはめていたのですね。ちょっと例を挙げてみます。
- お互いに合意した内容が反故にされる
⇒ 納期を一か月後で合意したのに、次の週に督促が来る - 急ぎの仕事を頼まれ、躍起になって完成間近
⇒ あっ、あの仕事無くなったから - 部下の報連相がないと憤っていた方からのご報告が何もない…
逆に嬉しい期待外れもあります。
- 部下に半ば冗談で「できたらいいね」と声掛けしたことを実直に守り実現してくれた
- お願いしたことの1.5倍位に完成後の高い内容が納品された
- (私事ですが)数年間全く交流が途絶えていた友人から(コロナ禍を心配する)連絡が入りSNSが再開
前半は相手への期待値を裏切られた形になった場合、後半は期待していなかったがために嬉しさ倍増の場合です。個人的に断然後半の方が精神衛生上良いですね。
で、何故前半の場面が発生してしまうのか考えたら、はたと気が付いたことがありました。前職でお付き合いしていた方々とは目指すゴールを共有し、しょっちゅうミーティングを繰り返し、お互いの会社・組織の文化や価値観が理解できていたからだということを。ベースが同じだったから行き違いやボタンの掛け違いが発生しなかっただけのことなのですね。納得です。
後半に登場する方々。もしかしたら、私のことを思い憚って気を使ってくださったのかも…そう考えたら、後半の方々に対しては私自身が何の期待も予測もしていなかったことに気が付きました。だからこそ感動し、嬉しさを感じたのだろうと思います。
自分の中のステレオタイプが怖くなりました。前半の、つい最近お付き合いを始めた企業の方々に対しても、前職で培われた期待の閾値をそのまま「べき論」として自身を正当化しようとする傲慢さ、怠惰さを認識したからです。
これではいけない!と強く自覚しました。前職での経験は自分の中のほんの一部にしかすぎない。会社という狭い井戸の中で培われた考え方は、早く単なる部品として活用できるようにし、沢山のオプションを持たねば…焦ります。
なので、第一歩として、後半のような嬉しい誤解が沢山できるように、自分の中の他の方々に対する期待の閾値を下げることを心掛けています。やってくれないと憤るよりも、心の健康には良いですからね。それと同時に、私自身が相手の期待に応えられているのか、相手の期待を良い意味で裏切っているのかを冷静に見るようにしています。 自分の中のステレオタイプに惑わされないよう、自分を過大評価せぬよう、相手が本当に期待している事を見極めて確認する。その上で、両者の着地点を見つけ合意し、一歩ずつ実績を積み重ねて行く。まだまだ修行は続きます…。