みなさま 田中かつゑです。猫にも積極的な仔とじっと察して欲しい派の仔がいます。私が忙しい日が増えると、隙を狙って抱っこを迫る仔は積極派。寂しくて元気がなくなるのはかまってちゃん。両方可愛いので代わる代わる抱っこするのですが、猫側からすると飼い主を独り占めしたいんだろうな…
早咲きの河津桜は有名ですが、仕事で訪れた土肥(とい、と読みます。伊豆半島西部に位置する温かい街です)で、それよりも早く咲く、土肥桜に出会いました。2月上旬なのに満開です。同時に梅が咲く時期でもあるので、非常に珍しい桜と梅の共演を拝めました。どちらも綺麗ですね、うっとりです。
同時に、温かいとはいえ本格的な春まではあとどのくらい三寒四温を味わうのか、という気候。美しい花が寒さの中でも凛と咲き誇っている強さを感じます。
そういえば、春に花咲く植物は一定の期間十分低い気温にさらされないと開花しないという記事を見たことがあります。極寒の中で付けた蕾を固く硬く閉じ、私たちが見えないところで着々と準備を整え、気温の上昇と共に文字通り花を開かせる。何故か人の営み、特に何かの目標を達成しようとしている方の生きざまに通じるものがあるような気がしてしまいます。また、建築関係の方に聞いたお話ですが、寒い地方で育った木から出来た材木は年輪が詰まり非常に丈夫だそうです。そのような材質を用いた木造住宅はお手入れにも依りますが、世紀をまたいで家屋を守り続けてくれるそう。古民家等はその典型でしょう。冬来たりなば春遠からじ。春には冬の寒さ、厳しさが必要なのですね。私たちが生きる様にも似ている様な気がします。
私たちが自分なりの美しい花を咲かせるためにも、冬に相当する厳しさは必要だと思います。仕事や勉強での目標達成は易々とはいかないでしょう。時には耐え、力を溜め、発揮する時をじっと待つことも。ただ、植物と違って私たちはその難易度、頑張る期間を自分で設定する事が出来ます。気温の日々の変化、風、雨、雪などの日常で発生するアクシデントに捕らわれるかどうかも自分で決める事が出来るはずです。自分にとっての開花とはどんな状態なのか、その花は1つなのか複数なのかそれも自分で決められます。
春に対する待ち焦がれる気持ちは冬を乗り越えたからこその感情だと思います。愛でる花も、頂く野菜も(春野菜の天婦羅、美味しいですね)皆、厳しい冬を越えています。私だけの春は何なのだろう。その春に咲かせたい花、目標はどんなことなのだろう、今一度考えてみるのもいいかと思います。出来れば、ずっと開花しているような楽しい目標だといいですね。
蛇足ですが、私自身は身体を健やかに保つために姿勢を良くすること、電車の中で座る場合は両膝を付けること、という小さな目標(!)を日々達成しようとしています。ところが、これがなかなか難しかったりする訳です。背筋は気を抜くとすぐに縮み、猫背のようになりますし、付けた膝は意識していないと段々と離れてきます。身体が無意識に楽な方に流れていく訳です。その誘惑と戦うのには、常に自分の姿勢を意識し続けなければならず、忘れてしまう事もしばしば。私の中の冬将軍は中々手ごわいです。でもこの目標は習慣になるまでずっと続けようと決めています。一つは自分を保つため。もう一つは自分の意識を色々な所に使う事で脳が怠けるのを防ぐため。60歳近い私でも、こんな可愛らしい目標を掲げ、毎日自分だけの達成感を味わおうとしています。みなさまも身近な春に近づいてみたらいかがでしょうか。