役員メッセージ ちょっと苦しい時に読んでみて

かつ便りNo.78 ~建て前と心の内~

 みなさま 田中かつゑです。猫が人からオヤツを貰う姿は微笑ましいものですが、我が家の1匹は自分なりのルールを作っているようです。例えば味付けをしていない玉子焼き。小さく小さくして、お皿に置いてもその仔は知らぬ顔。では、と私の手のひらに乗せると食べ始めます。キミのお皿は私の手だったのね…。

 日本に暮らして3年目の海外の友人がいるのですが、彼女と挨拶の話題になった時本当に不思議そうに言われました。「どうして日本人は親子や友人間でHugをしないの?」彼女曰く、親愛の情を表現するのが日本人は下手。そうですね、私もそう思います。そういえば、子供たちを抱っこした最後はいつだったかな…(遠い目)ですもの。
 この話は以前のかつ便りでも話題に出したことがありますが、今回は別のアプローチをしようと思います。

 慎み深さという言葉が勝っているのか、総じて(特に昭和世代)の人たちは感情を態度で現わしたり、言葉で表現することを人前ではあまりしません。でもだからと言って日本人は感情の起伏が穏やかなのか?も違うと思います。一人ひとりはとでも個性的で、あまたの感情を持ってはいるのですが、個から集団に切り替わった時に自分の内面をスッと覆うのが上手なのだと思うのです。

 例えば時節柄マスクの着用を取り上げたとします。お身体やご事情がありマスクを付けられない方々を除き、日本人は自宅から出た時には皆しっかりとマスクをしています。田舎道などで沙汰に他の人と出会わない場所だとしてもです。(一度着装してしまうと外すのが面倒という気持ちはあるでしょうが)自分自身を守ることはもちろんですが、人様にご迷惑をかけたくないという精神が息づいていると思うのは私だけでしょうか。人との関りの中で、まずお相手を思いやる、その上で自分を考えるという思考回路が日本人の中に刷り込まれている様な気がするのです。狭い島国の中でお互いに分かち合い、助け合わないと暮らしていけなかった昔の生活様式が、今も活きているのかもしれません。

 人前でHugしないけれど、日本人は相手を思いはばかり、陰でそっと支えることは得意のように思います。決して派手ではありませんが、日常の何気ないしぐさにそれは表れていると思います。先ほどの彼女はショッピングモールで買い物をした時にどこかに置き忘れた財布が、手付かず(お金を抜き取られていない)状態で警備室に届けられた時は奇跡だと思った、と言っていました。他にも道に迷ったときに見知らぬ方が目的地まで案内してくれたとか、確定申告の書類の書き方を丁寧に教えてもらったとか、日本人に対して「優しくて親切」という感想を持っています。

 今の若い世代の方々は私たち年寄りもずっと細やかな心を持ち、他の方々に気を使う事に関しては行き過ぎるほど頑張っていると思います。方やごく一部のご自分が中心でないと気が済まない人に対しても相手を立てすぎる余り、ご自身の心が疲れきってしまっている場面にも時々遭遇します。無理はダメよ。 願わくば、あなたには相手の心地よさを考えるが故に自分の不快さに蓋をして欲しくはないな、と思います。自分の心の内側を深く沈めてしまうのではなく、「あなたも私もハッピー」になって欲しいのです。もちろん自分の素を出してしまったら、失望されるかも、怒らせてしまうかも等の不安な気持ちがあるのは当然だと思います。けれど、建て前を重んじることで、一番大事なあなた自身を傷つけてしまっては本末転倒ではないですか。少しづつでも自分の思う事を言葉や態度に表して、周りの方々と緩く繋がっていけたらいいですね。建て前と本音は裏表ではなく、メビウスの輪のようにどちらも現れてくるような気がします。