役員メッセージ ニャンコ

かつ便りNo.163 ~マズローの欲求五段階説~

 

 みなさま 田中かつゑです。年末年始に遠方に居を構える子供たちが帰省したのですが、久々の顔に新参者ニャンコたちはびっくりしたようです。古株は毎日触れ合っているかのように子供たちに甘えるのに対し、新参者は「誰?嫌!怖いの~!」をむき出して、隠れてしまします。娘は通称猫使いとして様々なニャンコに好かれるのですが、一番の新参者「とら」は彼女を全然覚えていない様子。娘よ、ドンマイ。

 我が家のニャンコたちを見ていると、環境や自分自身の変化に悩むことなく対応している様に(私が勝手に)思います。以前触れましたが、腎臓病の仔については、毎朝の投薬と週一の皮下点滴が必要です。投薬は丸薬を潰し、ウエットのご飯に混ぜてあげているのですが、他の仔に食べられたら意味がありません。そのため、彼だけをケージ内での食事とすることにしました。初めは勝手が分からなかった彼ですが、今はご飯よ、と声を掛けると自分から進んでケージの中に入ります。そして誰にも邪魔されずに自分のペースでご飯を食べています。エライねぇ。余談ですが、処方されたニャンコ用の腎臓病の薬は何故かバニラ味です(ワンコ用はビーフ味)。何故でしょうねぇと獣医と首をかしげます。

 週一回の皮下点滴(180ml)。私自身が彼に施します。背中から注射針を刺し、処方された液体をゆっくりと注入していきます。犬猫は人間と違って皮下にかなりの液体を溜めることができるのだそうですが、不思議な感覚です。処置には10分弱かかりますが、彼はじっとしてくれています。「終わったよ。頑張ったね。偉いね。」と声を掛けると、彼はリュックを背負った人みたいに、重そうにのそのそと自分の定位置に移動していきます。

 人間の目から見ると、彼はおっとりしていて、ケンカが弱そう。争いごとが苦手だけど、人間は少し好きそうです。長い野良生活の期間中、ケンカでやられてしまったのでしょう。猫エイズのキャリアです。成長期に十分な栄養を摂取できなかったようで、頭の大きさに比べ身体は貧弱。筋肉も少ない体型です。縁あって、我が家に来て余生を過ごしている彼は、もちろん腎臓病に罹患していることも、投薬も皮下点滴の意味も知りません。ただただ、夏は涼しく冬は暖かく、同じ猫の仲間がいる空間でのんびりと過ごしているだけです。もし、彼が言葉を発することができたら、何を言うのでしょうか。

 彼は攻めよりも守りのタイプの様で、新参者の猫に対してもちょっかいを出しに行く事はしません。けれど、来るものは拒まず、と、甘えてきた年下のニャンコと一緒に眠っていたりもします。人間に対しても、(おそらく飼われた経験は無いと思われるのに)出しゃばり過ぎず控えめに甘えてきます。唯一積極的になるのは、私と二人になった時と食事時。彼は私の膝に乗り、まるで昔から私と一緒に居るような表情でゆったりと眠りに入ります。小さい仔なので、ずっと膝の上に居ても重くないんです。ご飯の時は自分の順番を守り、ゆっくりと食べているのですが、往々にして他の仔に横取りされてしまい、そのままじっとしています。近況は前述の通りなのですが、ようやく自分のペースでご飯を最後まで食べられるようになりました。

 不遇な時を過ごしたペットたちが、心優しい飼い主と出会い、毛並みから顔つき、所作まで活き活きと優しく変身するさまは、様々なSNSや動画で紹介されています。そのどの仔たちも、過去の辛さを感じさせないが如く飼い主に甘え、健康な生活を楽しんでいる様で、見ている私も顔がほころびます。

 私自身は彼ではないので、本当に彼が私と一緒に居て幸せなのかは推測するしかありません。事実、我が家のニャンコの中にはまだまだ外の世界が恋しく、隙あらば…という仔もいました。けれど例外なく、飼い主と巡り合った愛玩動物たちは、家での生活に少しずつ馴染み、楽しみを見つけ適応し、自らもその生活に満足している様に見受けられます。環境というのは大事な事なんだと改めて思います。

 マズローの欲求五段階説はもしかすると愛玩動物にも当てはまるのかもしれません。
食の生理的欲求が満たされ、危険が取り除かれた安全な住環境で、飼い主などから受け入れられることで自身の社会が充当し、飼い主などに褒めてもらえることで認められ、幸せを感じることで自己実現が叶う。彼らが野良と言われる時代から飼われる身になるということは、この五段階の欲求が満たされるステップを歩む事かもしれません。そしてこの欲求のステップを登ることは彼らも意思を持って実現しているのではないかと思います。

 そう考えると、私たちはさらに明確に意思を持ち高みに向かう事は出来るはずです。何せその高みが何であるか、どこを目指しているかは、例え朧気ながらも持っているはずなので。笑顔のニャンコ・ワンコに習って、私も何を自分として実現させたいのかを改めて振り返り、それに向かって意思を持って臨みます。